ベトナムってどんな国?基本情報と歴史・文化を理解

近年旅行先としてベトナムが注目されることが多いですが、皆さんはベトナムがどのような国なのかご存知でしょうか?

今回は、ベトナムの国土や現在の衣食住文化、そして歴史についてご紹介していきます。

 

ぜひ旅行先の検討材料として、参考にしてみてくださいね。

 

【基本情報】ベトナムの国土と人口

ベトナムは人口およそ9300万人と日本よりもやや少なく、国土についても日本がおよそ38万㎢に対してベトナムは33万㎢とやや狭め。

近年では土地の開発が進んだことにより、どんどん人口が増加しており、特に首都であるハノイやリゾート地として人気のホーチミンに人が集中しています。

 

自然が豊かなのに対して、都市部が発展しているベトナムは、そこに住む人にとっても観光客にとっても過ごしやすい場所です。

 

ベトナムの衣・食・住の文化は?

ベトナムの文化について知るためにはその国の衣食住文化について知らないことには始まりません。

ここで、ベトナムの衣食住文化についてそれぞれご紹介していきます。

 

【衣】民族衣装:アオザイ

民族衣装としてよく知られているのがアオザイです。

チャイナ服のような薄手のワンピースとワイドパンツのような涼しげで足を隠すようなボトムを合わせた服装で、足元はサンダル。

 

特に女性用はバリエーションが多く、温暖な気候に合わせて爽やかな白やパステルカラーを選ぶなど楽しめます。

現地では観光客向けにアオザイのレンタルができたり、好きな布を選んでオーダーメイドで作るサービスも多く存在しています

 

【食】中華料理とフランス料理の影響が強い米食文化

ベトナムと言えばベトナム料理というイメージが多いでしょう。

ベトナム料理は中華料理とフランス料理の影響を強く受けており、古来からの米食文化が合わさってベトナム独自の文化になっています。

 

日常生活ではフランス料理や中華料理を食べる方が多いですが、ベトナムならではの春巻やフォーと言った料理も根強い人気があります。

生春巻、パクチー料理、フォーなどエスニックで日本人にも馴染みやすい料理は、ベトナム旅行の際にぜひ本場の味を楽しみたいものですね。

 

【住】活気あふれる都市

特にベトナムは南北に細長い国土を持つため、大きく分けると北部、中部、南部でその気候が大きく異なります。

土地開発が進んで近代的な建物が増える一方で、その土地の気候に合わせた住環境に特徴があります。

 

北部:ハノイ

北部ハノイはベトナムのなかでも特に日本に近い環境を持ち、四季も存在します。

また、首都ということもあり人口密度も高くなっていることから、日本の形態に近いマンションが非常に増えています。

 

電気や通信環境が整っており、移住者や留学中の若者向けマンションが多いですがセキュリティの高さは要チェックです。

 

中部:ダナン

ベトナム中部に位置するダナンはインスタ映え抜群の街・ホイアンがあることでも知られています。

ダナンも徐々に都市開発が進んでおり、特にベトナムの工業地帯としてそこで定住して働く人も増えています。

 

そのことからインフラ、近代住宅地が増えている土地でもありますが、一方で物流がそこまで盛んではありません。

 

南部:ホーチミン

ベトナム観光の定番・ホーチミンは戸建からコンドミニアムまで、安く居住できる住居が多く存在します。

特にホーチミン移住者に人気なのがサービスアパートメントと呼ばれる形態で、整備やセキュリティが整っているだけでなく様々なサービスが存在します。

 

家具家電完備はもちろんのこと、館内にジムや清掃スタッフが常駐しているところも多く、ワンランク上の暮らしに憧れる方に人気が高いです。

 

ベトナムの歴史

ベトナム文化を知る上で知っておきたいベトナムの歴史についても合わせてご紹介していきます。

 

第二次世界大戦(日本軍の北部進駐)

第二次世界大戦勃発まで、ベトナムはカンボジアとともにフランスの植民地「フランス領インドシナ」と化していました。

そして第二次世界大戦中、日本は当時のフランス領インドシナ北部に進駐し、一時はフランスと日本による二重支配体制になります。

 

日本軍は1941年に南部にも進駐し、それを正当化するために1945年にはベトナム皇帝としてバオ・ダイを擁立しました。

その後、日本が第二次世界大戦で降伏し、大戦が終結したことをきっかけに民族解放委員会が設立され、ベトナム民主共和国が誕生しました。

 

インドシナ戦争(フランスからの独立戦争)

日本が降伏後、連合国側がベトナムへの進駐を始めるとフランスも再び進駐し、すぐに傀儡政権を立て植民地化しました。

それによって始まったのが第一次インドシナ戦争です。

 

フランスは徐々にベトナム軍に追い詰められ、1954年にジュネーヴ協定に調印したことで、植民地化は免れられました。

この当時、北緯17度で軍の兵力分離が図られましたが、フランス軍に代わって兵を派遣したアメリカがジュネーヴ協定に不参加。

 

これによって、アメリカとベトナムが対立し、ベトナムは南北で分断されることとなりました。

 

ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)

ベトナムが南北に分断されたまま勃発したのが、アメリカの軍事介入により勃発したベトナム戦争です。

北ベトナムへの爆撃もあり、国内は悲惨な状態となり、パリ和平会談も中断。

 

ですが、度重なる侵攻の末南ベトナム共和国が1975年に全面降伏し、北ベトナムが実権を掌握する形で、ベトナム戦争は終結しました。

 

アメリカとソ連の南北対立

このベトナムの南北対立は、それぞれにアメリカとソ連が後ろ盾としてついていたことからも過激化していきました。

アメリカが南ベトナムに軍事介入をし、南ベトナム軍とともに進軍する形で北ベトナムに侵攻。

 

それに対してソ連は中国とともに北ベトナムに物資支援などを行う形で、裏から北ベトナムを支持する形で動き出しました。

当時ベトナムは様々な国の思惑がぶつかり合う中心地となっていたんです。

 

ベトナムの宗教や少数民族、言語

それでは、ベトナム現地の方達の文化や暮らしはどうなのでしょうか?

ここで、ベトナムの宗教や少数民族、そして言語についてご紹介していきます。

 

国民の70%が仏教徒

ベトナムは歴史的に見ても中国との関わりが深い国なので、仏教が宗教として非常に強く根付いています。

現在も国民の70%が仏教徒で、ベトナム国内には多くの寺院があり、特に有名な一柱寺などは観光スポットにもなっています。

 

その一方で、フランス植民地時代の影響からカトリックも多く、サイゴン大教会をはじめとした西洋造りの教会も多く存在します。

以上のように様々な宗教があることからベトナムでは信仰の自由は保障されているものの、一度に信仰できる宗教の数も法律で定められています。

 

53の少数民族

ベトナム人はその80%以上がキン族と呼ばれる民族で構成されていますが、そのほかに53もの少数民族が存在します。

そのことから、民族によって言語あるいは方言、文字、衣食住などに少しずつ違いがあり、独自の文化を形成しています。

 

特に有名なのがベトナム北部の田園風景広がるサパに住む少数人族たちです。

その民族衣装や独自の工芸品は世界中で注目されており、観光でサパに訪れる方も多いです。

 

公用語はベトナム語

ベトナムの公用語はベトナム語です。

ベトナム旅行に行くときは簡単なベトナム語の日常会話を覚えておくと良いでしょう。

 

そのほかにも、中国語を語源とした華語を使う民族、また歴史的背景から英語やロシア語、フランス語のわかるベトナム人もいます。

 

まとめ

ベトナムには多種多様な文化があり、旅行をする際は、それらの歴史、文化を知った上で訪れるとベトナムの地がまた違った見え方になるでしょう。

文化、気候、そして歴史など、日本に日本独自の文化があるように、ベトナムにもベトナム独自の文化があります。

 

ここでご紹介したものはあくまでもベトナムという国の概要です。

ベトナムの歴史や文化についてさらに興味を持っていただけたら、それらについてさらに詳しく調べてみてくださいね。

 

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