ネパールってどんな国?基本情報と歴史・文化を理解

南アジアに位置するネパールは、遠い国のイメージがありますが、最近は留学生が日本にも来ているので身近に感じることも多くなりました。

独特の文化があるネパールについて紹介します。

 

【基本情報】ネパールの国土と人口

正式名称は「ネパール連邦民主共和国」であり、首都はカトマンズ、人口はおよそ2649万人、面積は147.181㎢です。

通貨は、ネパール・ルピーで1ネパール・ルピーは2019年11月現在で0.95円です。

 

ネパールの気候として、6月~9月が雨季、5月~10月が乾季で、気温は暑い時期は30度近くになる一方寒い時期は3度などの一桁になることもあります。

 

ネパールの文化は?

ネパールは、多民族多言語国家であることから、文化にも様々な特徴があるでしょう。

基本的にとても気さくで、マイペースな人が多いようです。

 

多くの宗教も入り混じっているネパールの伝統や、日本にはない興味深い文化を紹介します。

 

【言語】公用語はネパール語

ネパールは、公用語はネパール語ですが、マイティリ語、ボージュプリー語、タルー語、タマン語、ネワール語、マガール語、アワディー語なども使われています。

民族が多い分、使われている言語も自然と多くなります。

 

しかし、政府や企業、教育機関では英語が使われることが多く、農村部などの田舎を除くと英語が通じる可能性が高いです。

 

【宗教】人口の80%がヒンドゥー教、10%が仏教

2006年前までは、ヒンドゥー教が国教でした。

2006年から国教扱いを廃止しましたが、国教の名残でヒンドゥー教徒が80%を超えています。

 

次に多いのが仏教徒で10%程度、イスラム教徒は4%程度、キラント教徒は3%程度です。

 

【生活】干ばつや洪水

ネパールには、高い失業率や食料危機などの問題もあります。

また、干ばつが原因で、農作物が被害を受けることもありWFP やUNFPAが食糧援助や医療ケアを行ったこともありました。

 

干ばつ被害の直後に、モンスーンの影響で大雨が降り大洪水になる事態も起き、洪水で死亡した人も多くいます。

ネパールには、生活において災害による被害がありますが、物価が安いという良いところもあります。

 

1ヶ月に50000円あれば十分に暮らしていけるでしょう。

 

【食】ネパールの定食「ダルバート」

ネパールの家庭料理でもあり、ネパールに行ったら必ず食べたいのが「ダルバート」です。

ご飯や豆スープのダル、薬膳で炒めた野菜のタルカリ、野菜を使ったカレー、スパイスを効かせた付け合わせなどがワンプレートに盛り付けられた料理がダルバートです。

 

ネパールでは、1日2食ダルバートを食べることが多く、ご飯とおかずを混ぜながら食べます。

 

【衣】女性:クルタ・スルワール、男性:ダウラ・スルワール

女性の多くが着ているのが「クルタ・スルワール」です。

丈が長いワンピースにセットでパンツがついているツーピーススタイルです。

 

人気があるのが、「チュリダールスタイル」で日本でいうワンピースにレギンスのような格好で、パンツが足にフィットする細めのものです。

可愛い布で作られたものが多く、観光客にも人気です。

 

男性は、「ダウラ・スルワール」という民族衣装があります。

上下色を合わせたトップスとパンツにジャケットを着て、帽子を被る格好です。

 

最近は、あまり着ている人がいませんが、ネパールを感じさせる装いです。

 

ネパールの歴史

ネパールは、旧石器時代から人が住んでおり、古い歴史があります。

また、王朝時代や立憲君主制時代、連立政権など様々な時代を歩んできました。

 

ネパールを知る上で欠かせない歴史について紹介します。

 

ネパールの王族

ネパールは、過去に国王が絶対的権力を持つ時代がありました。

マッラ王朝の次にシャハ王家によるゴルカ王国が誕生し、1846年に「コト・パルバ虐殺事件」が起きたことでラナ一族による権力争いが勃発します。

 

ラナ一族による独裁政治に対し、1930年代には打倒運動が起きました。

しかし、国王がインドに亡命しインド政府が介入したことで国王の独裁政治が復活します。

 

その後、マヘンドラ国王が「パンチャーヤト制度」を取り入れた新憲法を取り入れましたが、その内容は、国王第一であり、国王が絶対だというものでした。

また、国王の地位を高めるためにヒンドゥー教を取り入れたのです。

 

次のビレンドラ国王も国王政権を続け、1990年には民主化運動が起きました。

国民の声が大きくなり、パンチャーヤト制度を廃止し新憲法が発表されたものの、その内容もまた国王が重視されたものでした。

 

そのため、1996年にマオイストによる人民戦争が開始されたのです。

 

ネパール共産党毛沢東主義派による人民戦争

制憲議会選挙を開くことを要求したマオイストによる人民戦争が1996年に勃発します。

マオイストとは、ネパール共産党毛沢東主義派のことです。

 

マオイストが40か条を要求したものを政府が拒否したことで銀行が襲われたり警察署が襲撃される事態になりました。

そんなときに2001年、ネパール王族殺害事件が勃発します。

 

この事件は、国王と王妃に結婚を反対された王太子が銃を乱射し、自殺をしたというものです。

マオイストはこの事件を利用して、反首相を打ち出し、多くの人を味方につけて首相を辞任にまで追い込みました。

 

その後もいくつもの襲撃が起き、多くの人が亡くなっています。

この人民戦争は2006年まで続き、結果的に包括的和平合意が政府との間で終結されて終わりを迎えました。

 

民主化運動

2006年4月にマオイストと民主化勢力の7政党が市民をも巻き込んだ全国ゼネストが起きました。

共和制を求めたデモが勃発し、このデモはネパール史上最大のものになったのです。

 

その後、7政党による「100万人デモ」を行うと宣言されると、王宮に向かってデモが行われるのでは? と注目されました。

しかし、国王が要求を受け入れたことにより7政党は民主化運動の中止をする方向で調整に入りました。

 

継続を望んでいたマオイストも運動を停止し、復活した下院が国王の権力を奪い、国教がヒンドゥー教であることも廃止したのです。

 

タライ地方少数民族マデシの独立運動

タライ地方には、マデシという民族がいますが、彼らは差別を受け、カースト下位の扱いを受けたりカーストに入れられすらしなかったりしていました。

住民証を与えられないなどの差別を受けていたため、ネパールからの分離や独立を求めた運動を起こします。

 

2007年の暫定憲法に、マデシの権利がないことや2008年にマデシの要求を受け入れてもらうためのデモも行いました。

この独立運動は、少数民族のマデシといえどもネパールの4割の人口を占めることや、背後にインドが関わっているのではという疑念から大きな問題になっています。

 

ネパールの治安は?

ネパールは、治安が良い地域もある一方で気をつけなければならない場所があります。

例えば、ムグ群やマナン群のように危険レベルがつけられていない安全な場所もあれば、危険レベル2がつけられている場所も存在しています。

 

【外務省情報】ほとんどの地域はレベル1(十分注意)

ネパール全体を見ると、ほぼ全域で危険レベル1がつけられています。

政府の政策に対する不満などから、ストライキが行われ反政府運動が行われる可能性があります。

 

また、スリや置き引き、ひったくりなどの犯罪も多発しています。

 

一部レベル2の地域あり

一部地域では危険レベル2がつけられており、マオイストの過激派が勢力を拡大させています。

2017年の選挙期間において、爆発事件が起きたり、政党支持者同士の衝突も起きました。

 

まとめ

ネパールは、カトマンズ盆地などの世界遺産がある素敵な国です。

しかし、治安が完全に安定しているとは言い切れません。

 

今後、ネパールがどう変わっていくのか注目もされているでしょう。

渡航のときには、治安や危険情報をしっかりと確認してください。

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